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いのち響きあって 〜 AIDSを通して共に生きる社会について考える。 |
| そして免疫力が落ち、日和見感染を起して亡くなっていくということがあります。HIVというウイル スに感染しますと、その免疫で統括する部分のヘルパーT細胞が攻撃されますので免疫力が落 ちてきます。それで、免疫力を示すCD4の値がだいたい200位から感染症にかかりやすくなりま す。 ただ、現在は19〜24種類の抗HIV剤の治療などを受けることより、エイズの発症をする、 あるいは発症を遅らせることが可能になっており必ず死に至る病気ではなくなりました。 すなわちHIV感染症は、治療可能な慢性疾患のひとつとなりました。 最新の抗HIV剤を発見したのは日本人の科学者で大変誇るべきことです。 現在発表されているHIV感染者は12000人で、そのうち1500人は血液製剤による感染です。 初めて、感染を公表した 赤瀬 範保 さんは血友病患者さんです。血友病というだけで、病院 の治療を断られたり、学校・地域・職場では恐れられ入学を断られたり、仕事をやめさせられたりするなど差別や排除が起きました。血友病患者たちは血友病とHIV感染という病気に対する 二重の差別を受け、それに脅えながら隠して暮らさざるをえなくなりました。赤瀬さん自身が血 友病とAIDSの治療を受けながら、この病気について訴え感染者のおかれている状況を伝える ことはとても効果のある反面、本人やその家族にとっては,HIV/AIDSに対する偏見や差別があ るなかでさまざまなトラブルが起こることを覚悟しなければなりませんでした。 赤瀬さんは数多くの仕事をし、「あたりまえに生きたい」という言葉を残し1991年6月17日に亡く なりました。
やAZTの投薬などの対応で感染の可能性を抑えることができるようになり感染をを1%まで減らせるようになってきました。
南の貧しい国々、例えばブラジルでは、ストリート・チルドレン(路上生活をしている子供たち) |
車椅子で動く人が道に段差があるために道は行けないということを訴えれば足の不自由なほか 血友病治療薬でHIVに感染し、エイズで19歳に亡くなった 岩崎 孝祥
さんのお母さんの話をし |
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| 「もういい、疲れた」ノートにはサインペンで描かれた赤ちゃんが書いたような線が・・・。 私は、こらえきれず病室を出て、廊下の隅で声を殺して泣きじゃくりました。 ただ一つの夢だった絵がこんなにも・・・。諦められないんだ。壮絶な死でした。痛みを耐え、最 後まで意識はしっかりとあり、幻覚の世界の話をしたり、自分は、もっとしなければならない事が あると、寝ているのがもったいないと・・・。無念の一言です。 生まれながら病気を抱え、そして、弱りゆく体を気力で耐え、夢を追い、最後まで生きようと頑 張った息子を、私達は誇りに思っています。岩崎さんはX JAPAN の「Tears」 という歌が大好 きでした。
治療研究に役立てることを目的に、厚生省の調査研究事業が始まったのが、1972年ですが、 |
| 体が体ですから、私はいつ自分の最期が来てもおかしくありません。腎臓や心臓も弱ってき て、とくに、阪神・淡路大震災以降はもう末期的だなと思います。 でも、難病と診断された時、あと3年と言われた命です。それがもう、30数年近く生きているの ですから、ずいぶん長生きした気分です。1年が5年くらいの重みを持って生きているので「年 齢は?」と聞かれると「180歳」と答えます。今は、オマケの人生。神様に私の体を使ってもらっ ているという充足した気持ちです。 |