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★ 2006年10月10日(水) ★ |
★ ロータリーソング ★ |
★ 近隣クラブ卓話 ★ | ||||||||
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第845回
今週の例会 |
我 等 の 生 業 我等の生業様々なれど
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@開会点鐘
・ ・ ・ 室田 光重 会長(岸和田RC)
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●高石ロータリークラブより 平成18年10月10日(火)の例会は、 日時:平成18年10月12日(木) 12:30〜
場所;南海グリル東店 『高石・高師浜RC 定款5条第1節により、休会
場所;たかいし文化会館 アプラホール ●泉大津ロータリークラブより 平成10年10月6日(金)の例会は、 日時:18年10月6日(金)19:00〜)
場所;ホテルレイクアルスターアルザ泉大津 |
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御座いました。先方の幹事と打ち合わせを致 しfaxにて次第を確認致しておりましたが、 実際には打ち合わせ外の事態が発生致しまし た。会員の皆様には「無様などたばた劇」を お見せすることになりお詫び申し上げます。 ロータリーの寛容と友愛の精神に免じてお許 し下さる様お願い申し上げます。 G委員会報告
●会報・記録保管委員会
●三軒久義ガバナー ・・・ 今日の公式訪問に大
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今日はIM6組の伝統ある岸和田ロータリークラブ |
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10月〜11月 予 定 表 |
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2006年10月 |
職業奉仕・米山月間 |
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| 10日(火) | 例 会 | ・定例理事会 | |
| 17日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム(米山奨学) | |
| 24日(火) | 例 会 | ||
| 31日(火) | 例 会 | ||
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2006年11月 |
ロータリー財団月間 |
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| 4日(土) | I M 6組 | ・全日空ゲートタワーホテル大阪(ホストクラブ貝塚RC) | |
| 7日(火) |
例 会 |
・定例理事会 | |
| 12日(日) | ・神於山植樹(環境保全・地域発展) | ||
| 14日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム(職業奉仕) | |
| 21日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム(ロ^タリー 財団) | |
| 28日(火) |
例 会 |
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| 岸和田の昔話
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| (1)摩 湯(まゆ) 昔、摩湯の丘陵の下から温泉が湧き、摩湯千軒といわれて繁昌の地であった。だが、あるとき、馬子(まご)が馬をひいて来て、馬蹄(ばてい)を浸したので、湯が汚れて有馬へ飛び去ったと伝わる。 (2)へっつい片(がた) 神於山(こうのやま)の東南の裾(すそ)にへっつい片がある。ここは、むかし、岸和田城を築いたとき、石を切り出した所で、大勢の人夫の湯茶の接待のため大竈(かまど)(へっつい)を設けたあとという。 また久米田池を築いたときのものともいう。 (3)諸井堰(もろいぜき) 河合町の雨降りの滝の上流にある。阿間河(あまか)と土生(はぶ)の両岸、諸手(もろて)に分水している井堰(いぜき)である。橘諸兄(たちばなのもろえ)が造ったとする伝承もある。 (4)田治米(たじめ)の古名 仁徳天皇の王子、タジヒノミズハワケノミコトが淡路の宮でお生まれになったとき、その湯沐(ゆあみ)に奉仕したのが丹比部(たじひべ)で、田治米氏の祖先である。またそのとき水の上にタジヒの花が浮かんだという。のち湯沐邑(ゆあみのむら)として丹比部を置かれたところで、丹比部里(たじひべのさと)から丹治米里(たじめのさと)になったといわれる。 (5)島田の森 池の尻から塔原(とのはら)街道に出、城下池(じょうがいけ)の横を通り、伊勢講の灯籠(とうろう)を過ぎると、土生(はぶ)との境界の手前右側に森があり、赤い鳥居が見えてくる。島田稲荷ともいわれ、土生側からは烏(からす)の森ともよんでいた。 |
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(6)こなから坂 紀州街道から北大手門を入ると左手へ折れて、坂を上ると北口門があった。その坂をいつからか「こ なから坂」といった。大阪では半分の半分(4分の1)のことを「小半(こなから)」というから、90度の4 分の1、22.5度位いの勾配の急な坂であった。今に残るかむろ坂・西大手坂も急勾配の坂である。 (7)袖取坂 「泉州畑村袖取坂で、小判千両後(のち)の世のため」と謡われる。畑町から津田川を渡って神須屋 (こうずや)へと出るみちにあり、河岸段丘につきあたってS字状に曲がる坂道である。そこで躓(つま ず)いたり、ころんだりするとげんがわるいのでむかしは着ている着物の袖をちぎって坂に手向(たむ) け、はやく通りすぎるならわしがあった名残りである。 (8)和泉式部ゆかりの地名 土生町(はぶちょう)から作才町・上松町(かんまつちょう)・下松町(しもまつちょう)にかけて和泉式部 にゆかりの地名が分布する。 恋の渕・恋ざめの渕・蛙(かわず)泣かずのどんび渕など、泉、水にかかわる地名と、式部塚・式部川・ 式部墓・式部の湯殿石(夜啼石(よなきいし))と、式部の硯塚(すずりづか)・筆塚など式部を冠(か ん)する地名に分けられる。また、轟(とどろき)川について和泉式部が詠んだとする歌がある。 「轟(とどろき)の川の瀬に棲(す)む鮎(あゆ)にこそうるかといえるわたはありけり」(拾遺泉州志)ま た、「轟やあの綿ばかりうるかなりこのわたばかりうるかではなし」(泉州記)との2首があり、歌が詠ま れてから轟川に鮎がいなくなったと結んでいる。 (9)行遇堂(ゆきあいどう) むかし阿間河(あまか)の村は、上字(あざ)(八田(はつた)・神須屋(こうずや))と下字(畑・極楽寺 (ごくらくじ)・流木(ながれき))とに分かれていた。祭礼などの行事には、この行遇堂でおち合ってか ら、一の宮に参詣したという。 一説には神於寺(こうのでら)の盗まれたほら貝が、阪南市の貝掛からもどされたとき、寺からの迎え の者と出合ったところとも伝えられている。
(10)八木の村名を続けた俚謡(りよう) |