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★ 2006年10月24日(水) ★ |
★ ロータリーソング ★ |
★ 近隣クラブ卓話 ★ | ||||||||
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第847回
今週の例会 |
それでこそロータリー どこで会っても
やあと言おうよ
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例会日変更のお知らせ 次週10月31日(火)の例会は 11月4日(土)に変更です。 (インターシティミーティング) |
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アキメネスアキメネス 原種はメキシコ南部から中央アメリカにかけて20数種が分布します。細長いマツカサ状の根茎を作る球根植物で、寒くなると葉や茎が枯れ休眠します。 |
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@開会点鐘
・ ・ ・ 奥田武生会長
D会長の時間 ・ ・ ・
奥田
武生 会長
「手続要覧」によるとロータリアンには「適格者を |
E幹事報告
・ ・ ・ 藤 静夫
幹事 |
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F委員会報告
H卓 話 ・ ・ ・ 「クラブフォーラム」 10月は「米山月間」「です。我が「岸和田北RC」 |
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皆さんこんにちわ、私はチャン・アン・トウと申しま
本日はベトナムのことについてちょっと話します。 |
さて、経済ではホーチミン死後1,986年には国家 |
時差は、約2時間あります。日本より2時間遅い
紙幣の顔には、ホーチミンの写真だけしかありま |
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11月〜12月 予 定 表 |
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2006年11月 |
ロータリー財団月間 |
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| 4日(土) | I M 6組 | ・全日空ゲートタワーホテル大阪(ホストクラブ貝塚RC) | |
| 7日(火) |
例 会 |
・定例理事会 | |
| 12日(日) |
移 動 例 会 |
・ 神於山山麓への植樹(10:00里の駅集合) | |
| 14日(火) | 11月12日(日)に変更 | ||
| 15日(水) | ・第17回南輪会ゴルフ大会(泉南カンツリークラブ) | ||
| 21日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム(ロータリー財団) | |
| 26日(日) | ・グルメ会(有田市初島「松林」) | ||
| 28日(火) | 例 会 | ||
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2006年12月 |
家 族 月 間 |
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| 5日(火) | 例 会 | ・年次総会 ・定例理事会 ・次年度のための理事会@ |
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| 12日(火) | 例 会 | ||
| 19日(火) | 例 会 | ||
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22日(土) |
・クリスマス忘年例会 ・新会員歓迎会 |
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| 26日(火) |
12月22日(土)に変更 |
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岸和田の昔話
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慶長のころ、春木村の大百姓・白井又兵衛の娘おもえはちっちゃな時分から浜で泳ぎまわってばか りいた。「女にゃ似げないこっちゃ、第一危(あむ)ない」親類どもは顔をしかめたが、「何があむないんなぇ。好きでやってる事やないかぇ」親の又兵衛は、一向に平気だった。 年頃になったおもえは、のぞまれて忠岡の地主・甲兵衛(こうべえ)の許(もと)に嫁(とつ)いだが、この男は毎日親爺どのの言いなりになってばかりで、サッパリしっかりめの見えぬ亭主だった。 「男ちゅうもんは日頃ボサッとしてても、サアという時には、キラッと光るもんや」 おもえは半歳もたたぬうちに見切りをつけて、さっさと春木へ帰ってしまった。又兵衛は、この時も文句一つ言わなかった。大阪城内の女官長(にょかんちょう)・大蔵卿(おおくらきょう)の局(つぼね)と親の又兵衛は知り合いの仲だったから、このあともおもえは城へ入り、「幾瀬(いくせ)」ときには「白井(しらい)」と呼ばれて腰元づとめをするようになった。折しも、大阪夏の陣である。 20万を越す関東の兵に包囲され、たちまち城内力尽きて本丸御殿も煙に包まれた。おもえは下働きの女おあちゃと2人で台所の大廊下を走りすぎようとした時、めざとく千成瓢箪(せんなりびょうたん)の御馬じるしを見つけた。泥にまみれて通路の片すみに投げ捨てられていたのだ。 「お待ち」と、おもえはいった。2人してそれを抱き上げ、壁ぎわに立てかけて立ち去ろうとしたが、思いかえして力まかせに瓢箪をもぎとり、ばれんをちぎりとっては火の中へ投げ捨てた。太閤遺愛の品が敵方の手に渡ってはずかしめられることを懸念(けねん)したのである。 「よくぞ心付いた、白井」大蔵卿の局は、涙をこぼしてこれを喜び、すぐさま女たちに暇(いとま)をとらせて退去を命じた。 おあちゃとも別れてひとりになったおもえは、スラリと衣服を脱ぎ捨てて二布(ふたの)(腰巻き)1枚の裸になった。別れに際して拝領した淀殿(よどどの)の化粧道具―金の黒骨の扇子、べっ甲の板に虎の毛をビッシリ植えた櫛はらいを髷(まげ)のもとどり深くへ差し込むと、白い両の乳房もあらわにザンブと堀に身を踊らせた。その後おもえは自在に水門をくぐり抜け、大川を泳ぎ下ってまんまと藤堂泉州(和泉守高虎)の陣前に浮かび出、無事に春木へ帰りつくことが出来た。 ―よくぞ心付いた― 大蔵卿のねぎらいの言葉を、年老いてもおもえはことあるごとに里の者へ語り聞かせた。淀殿の形見の2品は、幕末の頃まで大事に持ち伝えていたが、いつしか失われ―又兵衛直系の末裔(まつえい)たちも戦後屋敷を手放して、今はもう春木にはいない。 〔中盛彬(もりしげ)「拾遺泉州志」所蔵〕 |