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四つのテスト
言行はこれに照らしてから |
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★ 2006年 7月11日(火) ★ |
★ ロータリーソング ★ |
★ 近隣クラブ卓話 ★ | ||||||||
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第833回
今週の例会 |
我 等 の 生 業 我等の生業様々なれど 集いて図る心は一つ 求むるところは平和親睦 力むるところは向上奉仕 お ゝロータリアン 我等の集い
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こ
と わ ざ 事 典
無理が通れば道理引っ込む |
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あ さ が お 古代の中国では朝顔は高価な薬で 牛と取引されたほどのものだったので漢名の「牽牛(けんぎゅう)」はそれにちなむ。 (牽牛子(けんごし)と呼ばれていた)今でも漢方では種子を下剤や利尿剤に使う。 |
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●テーマ唱和 ・ ・ ・ 「率先しよう」
@開会点鐘
・ ・ ・ 奥田
武生
会長
●会長・幹事より直前会長・幹事へ記念品の贈呈 |
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【2006〜2007年度 岸和田北RC クラブ方針】 |
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生命は、外からエネルギーを取り入れてそれを
ロータリークラブが誕生したのが、和年では明治38
単にエネルギーを摂取消化し物理的成長を遂げ 最近のホットニュースより。 IT世界の覇者マイクロソフト社の創業者ビル・ゲイ
ウォーレン・バッフェト氏は著名な米国投資家で この両者の資産は、フォーブス誌によればゲイツ |
クラブ例会の月次報告を含む、諸種の義務報告
さらに、「クラブ幹事要覧」(229-JA)の2003年度
これに、2004−05年度、2005−06年度、2006−
以上のように、クラブ幹事には、多くの情報が伝わ |
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「慈善と慈悲の源泉」とは、西洋では「出来る限り
我らはロータリアンです。[LEAD THE WAY] |
L閉会点鐘 ・ ・ ・ 奥田 武生 会長
** ピアノ演奏 中筋美恵子さん ** * シェルブールの雨傘
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2006年7月 |
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| 11日(火) | 例 会 |
・四大奉仕委員長年間活動方針 ・クラブアッセンブリーB |
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| 15日(土) | ・クラブ会長会議(和歌山JAビル) | ||
| 18日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム「会員増強」 | |
| 22日(土) |
・第1回IM打合せ会議(全日空ゲートタワーホテル) ・クラブ会員増強委員長会議 (和歌山JAビル) |
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| 25日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム「RIテーマ」 | |
| 25日(土) | ・クラブ社会奉仕、環境保全委員長会議 (和歌山JAビル) |
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| 30日(日) | ・クラブ職業奉仕委員長会議 (和歌山JAビル) | ||
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2006年8月 |
会員増強及び拡大月間 |
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| 1日(火) | 例 会 | ・クラブフォーラム(出席・親睦活動) ・定例理事会 |
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| 8日(火) | 例 会 | ・ I D M報告 | |
| 15日(火) | 休 会 | ・(定款第5条1節) | |
| 19日(土) | ・クラブ雑誌・IT委員長会議(和歌山JAビル) ・米山カウンセラー研修会(ルミエール華月殿) |
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| 22日(火) | 例 会 | ||
| 29日(火) | 例 会 | ||
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| 岸和田の昔話 轟(とどろき)川・天(あま)の川周辺の話 |
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(8)西福寺(さいふくじ)の鎌上人(かましょうにん) 春木の西福寺(さいふくじ)は浄土宗の本山寺(ほんざんでら)で、扁照山摂取院(へんしょうざんせ っしゅいん)と号し、阿弥陀仏(あみだぶつ)を本尊(ほんぞん)とする由緒(ゆいしょ)あるお寺です。 後奈良天皇は、この西福寺を勅願所(ちょくがんしょ)と定め、足利(あしかが)将軍義晴(よしはる)は 下馬止車(げばししゃ)の制札(せいさつ)を寄せましたから、門番はたいへん繁栄しました。 当時、このお寺は2町余(6000坪)の境内を持ち、寺領1万石、檀家(だんか)は48か村・48か寺に 及ぶ本山寺で、寺内には、近隣の子弟を教育するための学問所が設けられていました。 また、庭先には、天にも届くかと思われる松の巨木があり、沿岸で漁をする船頭たちの目印となって、 長く花立松(はなたてまつ)の名が残りました。 この西福寺の中興(ちゅうこう)の祖(そ)、灯誉上人(とうよしょうにん)は、伊勢の国山田の人で、鎌上 人(かましょうにん)と呼ばれています。 上人のお母さんは、上人がまだお腹(なか)の中にいる間に亡(な)くなりましたが、 「私は、もはや生きて我が子の顔を見ることはかのうまい。 子どもは生まれる前に私が死んだら、ためらうことなく私の腹を裂(さ)いて、子ども だけは必ず助けて下されや」という遺言(ゆいごん)どおり、その腹を鎌(かま)で断(た)ち割(わ)り、 赤子(あかご)を取り出したのだそうです。 お母さんの命かけた願いが通じたのでしょう。赤子は立派なお坊さんになり、泉南・泉北の村々に多 くのご利益(りやく)を施(ほどこ)しました。 当時、上人への謝恩(しゃおん)のために近郊の村々は、毎年薪1わを西福寺に納めたということで す。 上人は伽藍(がらん)整備の途上、法灯(ほうとう)を才誉(さいよ)上人に譲(ゆず)り、ご自身は大沢 谷(おおさわだに)の転法輪寺(てんぽうりんじ)に入られました。 西福寺は、今も諸人の厚い尊崇(そんすう)を集めています。 |